2011年10月25日火曜日

小さな幸せの見つけ方

「常識」とは当然のことだが人間が作ったものだ。かなりの人が共通認識として持つ決め事が一つの括りとして「常識」と呼ばれている。しかし確固たる括りがあるかと言えばなくて、曖昧無垢。人が何人か集まって交流を始めると、おのおのの常識の違いを探り会う。一度「常識」が食い違うと、揉め事になるか仲間同士で負の圧力を共有する事になる。こうした「常識」の食い違いは一般的に「認識の違い」とも言われる。この小さな仲間の間で起こる「認識の違い」が仲間同士の関係に不本意な縛りを生み出している。「会社」と言うものはこうした「仲間」寄り集まって社会性を持った括りであり、個別に「常識」をもつ幾つもの「仲間」で構成されているいる。個人個人の間で発生するプレッシャーが個に対して最も影響力があり、問題を引き起こす。
例えば退社しようとして荷物をまとめていると部長から「(みんなが忙しく働いているのに)君は帰るのか?。」と聞いてくる。「はい、帰ります。」「(手伝ってもらいたい事は五万とあるというのに…)そうか…。」大概、多くの人はこの会話自体を避けたくて「(帰りたいけど…)何か手伝いましょうか?」なんてことを言ってしまう。「(しめしめ)そうか、手伝ってくれるのか〜。ありがとう。」まあ、俗に言うパワーハラスメントの一種。こうした弱みにつけ込まれると、弱者は人の分まで働くことになり休めなくなってしまう。そして心身共に参ってしまう。ある程度の「常識」については従うべきだが、やはりほどほどにしないと正常な生活がいとなめなくなる。だから上司の圧力に対してもある程度NOと言って良いのである。まずは自分に素直になること、物事を他動的に決めるのではなく自分で主体性を持って決めるようにすれば、自ずと答えは出てくる。あまり我が強すぎると利己的な奴と言うレッテルが貼られてしまい、それはそれで問題だが、ある程度は許容範囲内だと考える事にしている。「小さな幸せ」を探すにもしても時間が必要だから。なかなかタフだが、そうした生活も時に良いところがある。厳しい環境下でサバイブすることも、小さな幸せになりうる。本当に全ては気の持ちようだったりもする。

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