小さな幸せ
毎日の生活の中で、偶然にも遭遇した幸せを記録することで、幸せとは何か?幸せとはあらゆる事象の中にある小さな幸せの集合体。そんな持論をここに綴ったいくつかの幸せを使って証明できればとかんがえています。
2011年11月22日火曜日
一丸となって
2011年11月20日22時03分福岡ソフトバンクホークスの日本シリーズ優勝が決まった。たかがプロ野球と言うなかれ。九州にとってこの球団の勝利はものすごく意味のあること。他ではちょっと考えられない魅力がある。僕は子供の頃から野球は好きで、よくテレビ中継を見ていた。一応、東京近郊にいたので自称ジャイアンツファンだった。ナインも割と熟知していた。しかし、今ほどの感情移入は出来なかった。大人になったとき、すっかり野球から遠ざかってしまった。野球は子供の観るもの。なんとなく距離感を覚えた。ところが九州に来てから一気に距離感が縮まる。それどころかすっかりファンになってしまった。ホークスは違う。一応、選手は何人か知ってはいるけど熟知と言うほどはない、それなのに、とにかく見ると感情移入が激しい。一体どうしてホークスだけ、こんな感覚を生み出せるのか?なんだか知らないけれど、選手との障壁が少ない。みな正しくチームを応援している。野球は子供じみた趣味ではなくきちんと大人も楽しめるもの。九州の誇りだとさえ思う。一体何がそう思わすことができるのか?あの世界の王が長い間率いてきたチームだからか?孫正義が巨額の財を投じて維持しているチームだからか?どちらも一つの要素ではあるけれど、それが即ち要因ではない。その要因は九州という地域一丸となって戦えるところ。それにつきるのではないか。それがこのチームにだけある特異性。完全に引き込まれてしまう。若くて新しいチームだったから、みんなが頑張れた。以前は、頑張るとバカにされるきらいがあった。若いからそんな空気を払いのけられた。この特権はだんだん年を重ねることで他と変わらなくなって来ているのかもしれない。しかし、その芯にある一丸となる術は変わらない。これからも変わらない一丸となったタカであるかぎり、ぼくらはタカを応援することだろう。日本一は我がことのように嬉しい。
2011年11月4日金曜日
ライフスタイルを変える
最近、ライフスタイルの転換を始めている。何処までかえられるかは分からないけれど、すでにはじめている。まずは通勤形態の変更。特急通勤を止めることで特急券代が浮く。
会社でのむ飲料をミネラルウォーターベースに変えた。いままではレモンフレーバーモノばかり飲んでいたから、水に変えた。もう少し頑張れば水筒にできるのだが。
夜は相変わらず約20分の徒歩帰宅がある。帰宅時間が遅くなればなるほど、きついがつづけざるを得ない。
昼もチープな弁当に切り替える努力をしていて、いまのとこ半分くらい。
朝カフェも安くしたし、経済効果は大分反映されたはず。
2007〜2011で四年が経つ。五年目に突入し、何処まで改善できるかわからないが、やるしかない。やればやっただけ何か返ってくるモノがあるかもしれない。
会社でのむ飲料をミネラルウォーターベースに変えた。いままではレモンフレーバーモノばかり飲んでいたから、水に変えた。もう少し頑張れば水筒にできるのだが。
夜は相変わらず約20分の徒歩帰宅がある。帰宅時間が遅くなればなるほど、きついがつづけざるを得ない。
昼もチープな弁当に切り替える努力をしていて、いまのとこ半分くらい。
朝カフェも安くしたし、経済効果は大分反映されたはず。
2007〜2011で四年が経つ。五年目に突入し、何処まで改善できるかわからないが、やるしかない。やればやっただけ何か返ってくるモノがあるかもしれない。
寄藤文平
毎日通勤で電車に乗るため、否が応でも見るのが車内吊り広告。デザイナーが関わっているもの、適当にやっているものがごちゃまぜになっているのだが、そのなかでも抜きでた存在感の広告がある。巷では何年も前から話題のJTの吊り広告として認知されているあの公共標識張りのピクトが起こすタバコにまつわる珍事をサラリとイラスト化して、逆手にインパクトのある広告にしたて上げている手腕はお見事。その寄藤文平氏の運営する文平銀座にはいろいろ目から鱗のアイデアで溢れていました。まずは見てお勉強です。
2011年11月2日水曜日
巡り会い?
インターネットで公開した写真が思いも寄らないサイトで見つかった。こんなのアップロードしたっけ?全く忘れていた。そう言うものが7年後にイタリアのサイトでみつかる。面白いことに著作権は守られているようだ。ウィッキペディアというサイトにどういう経緯か僕の模型写真がアップされていて、それが中国の躍進で各国から注目されるに乗じてあちこちで参照されることになる。その写真の一つfujian.projectは何とイタリアに福建省を紹介するページのビジュアル・ソースとしてリンクが貼られていた。songjiang.projectもしかり。
客観的にみると福建省の土楼を紹介するにはもってこいの写真ではある。鳥瞰で抽象的に表現していて色味もイタリア受けしそうなモデルである。あれにインスピレーションを感じてもらって建物ができていたりしたらどうなるのか?今まで考えもしていなかったことだが、確かにないとは言えない。よもや驚きの時代である。他にもアップしてないか?調べてみよう。
客観的にみると福建省の土楼を紹介するにはもってこいの写真ではある。鳥瞰で抽象的に表現していて色味もイタリア受けしそうなモデルである。あれにインスピレーションを感じてもらって建物ができていたりしたらどうなるのか?今まで考えもしていなかったことだが、確かにないとは言えない。よもや驚きの時代である。他にもアップしてないか?調べてみよう。
2011年11月1日火曜日
朝の喧噪の中、四両目の階段に一番近い扉から電車に飛び乗る。階段に近いため、同じように息せき切って駆け込んでくる乗客が多い。「間に合った。酷いな。この年で駆け込み乗車なんて。」グレーのジャケットにベージュのコーデュロイの雰囲気のある老人が膝に手をつき、肩を上下にゆらせる、まるでカエルが上下に喉をヒクヒクさせてるように。そんな老人の前に床に座り込んでDSを興じる高校生がいた。つよしとやすきである。彼らは共に四つ先の駅近くにある高校に通っている。「くっそーっ。たまんねーな。どっかいってくんねーか、おやじよ〜。」「こりゃ、すまん。」呼吸をなんとか整えた老人は2メートルほど彼らから離れ、視線を外に反らす。「やれやれ、散々だな。」外は日本晴れの良い天気だ。秋の紅葉も真っ盛り、自然の織り成す色とりどりの景色は良一にとって唯一心癒される景色であった。この年になり、子供も離れ、会社では高圧的な要求に対応するクレーム処理係り、家に帰れば恐妻がまた何かに不満をもち、良一を怒鳴りつけるためだけに待っている。楽しみは自分一人になれる通勤中のひととき、外の紅葉もやがて終わり、窓は都市の風景を映す。窓から目を逸らして出入口の方を再び見ると、相変わらず二人の高校生がゲームに興じている。席が空いてるというのに、なんで床に座るのか。良一には理解できなかった。そこでつい余計な一言を挟み込んでしまう。この一言のために、いつも恐妻の気分を逆なでしてしまうというのに。「そこの高校生諸君!席はいっぱい空いておるぞ、席に座ったらどうかな。」と良一がいうと「聞いた?高校生諸君!だってよ。」そう茶化して言うやすきに対し、つよしは苛立ちげに「うっせー、黙ってろ。」という。
2011年10月29日土曜日
デザイン
僕の仕事はデザインの端くれである。デザインは好きなのだが、はっきり言って、その中では平凡な部類の人間である。素晴らしい環境を構築する自信はあるが、最先端のデザインを考える自信があまりない。それ故にそこをつかれると痛い。年上の先輩から、
「あの一昔前前のデザインはお前のか。あの模型にはひっくりかえったぞ。」と言われた。
「そうだ。何かあの模型に問題でもあるのか?」
「あの前についているピロピロは何か?」と言うので
「あれはルーバーだ。」と返す。
「あの校舎は西向きなのか?」と言うので
「あれは目隠しだ。裏に手洗い、下駄箱といろいろかくしている。」
「じゃあ、あれは廊下なのか?」
「まあ、そんなようなものだ。よく見てもらえれば外部階段もついている。」
「そうか。」と言って先輩はたちさる。
デザインには自信が無い分、理論武装はある程度はしている。全くの装飾めいたものはそのセンスが無いので、ある程度機能のあるモノしか設けていない。デザインが悪いなという話に機能で応戦したかたちだ。多分、デザイン討議をしたかったのかもしれないが、まずもってそんな投げかけをされても、悪いけどできない。
実務バリバリの先輩二人からデザインについているクサされた。まあ、不確定要素の多いのがデザインであって、理路整然と説明できる部分は少ない。悪いと思えば悪いし、良いと思えば良いのが本当のデザインであるから、やはり僕には向かない。意味も無いことに自信が持てないから。良いデザインとは何か?という設問が一番厄介。人のデザインはよく見えるのだけどじぶんのは客観的になれずどうしても防御に回ってしまう。「これがカッコいいんだ。どう思う。なんて余裕が持てればより成長ができるのにと思う。「一体、あれのどこが一昔前のデザインなのか?教えて。」とでも聞いたらどうだったのか?」いろいろ考えてしまう。こういうことはもう少し時間が必要みたいだ。
「あの一昔前前のデザインはお前のか。あの模型にはひっくりかえったぞ。」と言われた。
「そうだ。何かあの模型に問題でもあるのか?」
「あの前についているピロピロは何か?」と言うので
「あれはルーバーだ。」と返す。
「あの校舎は西向きなのか?」と言うので
「あれは目隠しだ。裏に手洗い、下駄箱といろいろかくしている。」
「じゃあ、あれは廊下なのか?」
「まあ、そんなようなものだ。よく見てもらえれば外部階段もついている。」
「そうか。」と言って先輩はたちさる。
デザインには自信が無い分、理論武装はある程度はしている。全くの装飾めいたものはそのセンスが無いので、ある程度機能のあるモノしか設けていない。デザインが悪いなという話に機能で応戦したかたちだ。多分、デザイン討議をしたかったのかもしれないが、まずもってそんな投げかけをされても、悪いけどできない。
実務バリバリの先輩二人からデザインについているクサされた。まあ、不確定要素の多いのがデザインであって、理路整然と説明できる部分は少ない。悪いと思えば悪いし、良いと思えば良いのが本当のデザインであるから、やはり僕には向かない。意味も無いことに自信が持てないから。良いデザインとは何か?という設問が一番厄介。人のデザインはよく見えるのだけどじぶんのは客観的になれずどうしても防御に回ってしまう。「これがカッコいいんだ。どう思う。なんて余裕が持てればより成長ができるのにと思う。「一体、あれのどこが一昔前のデザインなのか?教えて。」とでも聞いたらどうだったのか?」いろいろ考えてしまう。こういうことはもう少し時間が必要みたいだ。
2011年10月28日金曜日
朝カフェ効果
朝が来た。毎日夜になり、朝が来てまた夜に向かう。毎日同じ喧騒の中へ飛び込む。今日はどんな驚きに満ちた一日なんだろうか。朝は一日のスタート。先ずは一息カフェで息を吐く。特急でいっていた頃は、大分カフェでの時間が使えた。この朝の三十分が一日の行動を決めることもしばしばあった。会社に着けば机にはメモ紙があり、ログインしてメールを開けば処理すべきメールが何通かあり、後ろには「申し訳ないんだが今日五時間でいいから時間をくれ。」と言う上司が待ち構えている。常に周りでは何か急ぎの仕事があり、とても会社で落ち着いた作業スケジュールを作ったり、直近ではない仕事の段取りを決めるなんて不可能。仕事場では仕事を捌くのに必死であとこれもやっておこうと言う落ち着いた思考回路はまるで無い。だから朝の落ち着いたひと時をカフェでコーヒーをすすりながら何をやることになっているのか?置き去りにしている業務は何か?何か今日こなしておくと、後で楽になる事はないか等をメモすることで会社でのフットワークが違ってくる。ちょっとしたスケッチ、アイデア、探す資料の項目出し、精算等、を朝行うことで、頭の中にある程度、一日の作業工程ができるので、上司に、「五時間は取れません、今日はこれとこれをやらないと後で収拾がつかなくなります。二時間でお願いします。」との切り返しができる。このように会社では自分の領域が侵され亡き者にされるケースが意外に多く、それを放置して別の仕事を手伝い、自分の仕事が遅れると、管理能力がないと言われる。意外にもそうした掴みをしないで仕事に当たる人は多く、分からないから、とにかく文句を言われない時間まで残り、忙しさをアピールするしかない。朝のひとときで頭を整理できれば、ここまでやればと言う線引きができるし、事前抑制できるので、計画的に効率よく仕事ができる。これを朝カフェ効果と呼んでいる。充実した一日を過ごすには朝カフェが重要なひとときです。
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