僕の仕事はデザインの端くれである。デザインは好きなのだが、はっきり言って、その中では平凡な部類の人間である。素晴らしい環境を構築する自信はあるが、最先端のデザインを考える自信があまりない。それ故にそこをつかれると痛い。年上の先輩から、
「あの一昔前前のデザインはお前のか。あの模型にはひっくりかえったぞ。」と言われた。
「そうだ。何かあの模型に問題でもあるのか?」
「あの前についているピロピロは何か?」と言うので
「あれはルーバーだ。」と返す。
「あの校舎は西向きなのか?」と言うので
「あれは目隠しだ。裏に手洗い、下駄箱といろいろかくしている。」
「じゃあ、あれは廊下なのか?」
「まあ、そんなようなものだ。よく見てもらえれば外部階段もついている。」
「そうか。」と言って先輩はたちさる。
デザインには自信が無い分、理論武装はある程度はしている。全くの装飾めいたものはそのセンスが無いので、ある程度機能のあるモノしか設けていない。デザインが悪いなという話に機能で応戦したかたちだ。多分、デザイン討議をしたかったのかもしれないが、まずもってそんな投げかけをされても、悪いけどできない。
実務バリバリの先輩二人からデザインについているクサされた。まあ、不確定要素の多いのがデザインであって、理路整然と説明できる部分は少ない。悪いと思えば悪いし、良いと思えば良いのが本当のデザインであるから、やはり僕には向かない。意味も無いことに自信が持てないから。良いデザインとは何か?という設問が一番厄介。人のデザインはよく見えるのだけどじぶんのは客観的になれずどうしても防御に回ってしまう。「これがカッコいいんだ。どう思う。なんて余裕が持てればより成長ができるのにと思う。「一体、あれのどこが一昔前のデザインなのか?教えて。」とでも聞いたらどうだったのか?」いろいろ考えてしまう。こういうことはもう少し時間が必要みたいだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿