2011年10月21日金曜日

写真と記憶

カメラをデジタルに変えてからもう十年、携帯電話を持ってからも同じ月日が流れている。つまり写真がそれだけたまっているということ。人間の記憶とは素晴らしく、結構前のことをあたかも昨日のことのように思い返すことができる。しかし写真は違う。時系列で並んでいる。毎月一ファイルのペースで撮り溜めた写真の海はいちいち開いて確認しないとなにが入ってるのかすらわからない。非常に不便だが、記憶とは違うのは、そこに忘れ去って久しい記憶の片鱗があること。目的の写真は今から四年も前に撮った写真だった。多くの写真の中に埋れていた。写真は過ぎ去った時間の間に随分と変わってしまった。かくも素晴らしかった写真はなんて無様な姿になってしまったのか。いやまてよ、そんなはずはない、写真が変わるなんて事があるもんか。変わってしまったのはかくいう自分の記憶の方だ。記憶は素晴らしいものだが、実に不正確な側面も持つ。その写真を見てしばらくは落ち込んだものだが、次のことに気づく。写真は撮りようによって、いかような印象にも変わる。よくよく見ると、写真毎に印象が異なる。そう、とにかく素晴らしいという事実は変わらないんだ。素晴らしいと感じるにはそれ相応の理由があり、その写真がどんなに印象が違っても、がっくりする必要はないんだ。そう気づくことができたのはちょっとしたラッキーだった。素晴らしいと思ったそのこと自体になんら間違いはない。

写真サーフィンでいろいろな記憶がまた蘇る。時間がかかって大変だったけど、その捜査のお陰で埋れていた記憶を掘り起こすことができた。記憶、写真どちらもともに素晴らしい。写真が作る新たな地平が開けている。全く新たな記憶をうみだすこともできる。1勝1敗。小さな幸せがそこにあった。

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